島だより

~2027年 宮古島のあなたへ

保良訓練場:有事・災害を想定した敷地外訓練

8月3日夜8時~4日朝の時間帯で予定していた行軍訓練。
2日に暴風警報、3日も日中は暴風域にあった宮古島で、停電など被害の続くなか延期か取りやめになるものと思われていましたが、夜9時頃に強風域に変更となり、深夜1時を出発とする短縮したスケジュールで行われました。

駐屯地が自治会に説明したとの報道もありましたが、実際には自治会長に通知の紙を送っただけです。
関連するいくつかの自治会の方々にも確認をしましたが、自治会から説明があったという方はいませんでした。

ともすれば市民にはほとんど知らされないまま行われた可能性もありました。
さらに深夜1時に出発するということで、民間地を使いながら誰も見ていない、知らないということになりかねない状況でした。

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深夜の保良訓練場ゲート前には記者さんが1社と、千代田駐屯地(宮古島駐屯地)で活動されている仲里さんが来ていました。
訓練場のゲートが何度か開け閉めされ、車両が3、4台出ていき、やがて30数名の隊員が歩いて出きました。

強風にあおられて雨の吹き付ける中、沈黙のまま歩いていく姿に言葉にできない陰鬱さを感じました。
南西諸島の地質を想定し、琉球石灰岩を爆破して掘削する実験を行い、自衛隊員の血液製剤を製造、南西諸島に備蓄するという動きの中の、この行軍訓練です。

市民のまったく知らされないままに、国はこの島での有事(戦争)を想定して訓練を行っているのです。
若い隊員たちはどこまで知らされているのでしょう。

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訓練場に戻ってくる朝の時間帯には、ゲート前に集まる人も増えていました。
隊員をねぎらう横幕を持った人たちも、台風の雨風の中で立っていました。

後から聞いた話では、駐屯地から、今回参加する隊員の家族を呼んだのだそうです。
行軍がゲートの中に入っていくと、家族の人たちも横幕を畳んで、地本と書かれた車で帰っていきました。

自衛隊地域協力本部(地本)は、防衛省におかれる自衛隊の機関です。
防衛省の機関が、台風の日の訓練に家族に横幕を持たせて、あたかも島の人たちは応援していると絵作りをするものでしょうか。

強風域とはいえ、台風はまだ宮古島沖にいて、とくに海に近い保良ゲート前には強い風が吹き付けていました。
大粒の雨が強く降ってきても、その場をすぐに離れることができませんでした。

今回関連する一連の記事を掲載します。
クリックすると大きく表示されます。
引用ということで、記事の一部をのぞいてぼかしをかけています。

県紙にも取り上げていただきましたが、地元紙がやはり的確だったように思います。

要請については「市民の生活圏までも軍事展開範囲とすることは、有事の際に宮古島市民の生活圏が攻撃対象となることに等しい。市民を島外避難しか選択肢がないよう追い詰めるもの」とした要請文の引用、平和センター下地さんの「このような訓練が少しずつ国民の意識を変え、戦争の準備を進めることに繋がっている」とのコメントを掲載しています。
市民にとくに伝えたい重要な個所を取り上げていただいたと思います。

また当日については、隊友会宮古支部、県自衛隊家族会の関係者が横断幕やのぼりを手に出迎えたことの記載。見出しを分けて、抗議の声があったことの記載があり、賛否入り混じった状況を工夫して伝えていると思います。

ただ、事前には「有事・災害対処」と記載していたことが、台風のさなか行われることを意識したか、有事の文言が一切表に出ず、「災害」が具体的に「長期間の台風の影響で」と付け足され、一部報道などそのまま掲載しているのには疑問符が付きます。

宮古島に駐屯する部隊はミサイル部隊です。
事前には「有事」に「対処」との記載があるのですから、市民にもそのように説明すべきですが、記者の取材には「長期間の台風」と言葉を変えました。

これがいつ堂々と「有事」と言い、車両展開に置き換えられていくか。
またその時には、国際戦時法上の整合性を考えれば、軍民分離の原則から市民はこの島に居続けることはできないことも指摘したいと思います。

琉球石灰岩を掘削し、血液製剤を島に備蓄する。
シェルターをつくり、島民5万5千人余の避難計画を県・市に立てさせる。
こういった背景とうらはらに、いかにも災害救助をするのだというていで訓練を展開していくことが、今、宮古島で起こっていることです。

記録を続けていくことが、エビデンスにもなると思います。
引き続き情報を掲載していきたいと思います。